太平洋戦争の戦端が開かれた12月が巡ってくるたび、北海道七飯(ななえ)町の元教師、庭山啓子さん(88)には戦時中の日々がよみがえる。開戦から80年。「風化する戦争の記憶を、教訓として後世に伝えたい」と願う。
日本軍は1941(昭和16)年12月8日、ハワイ真珠湾を奇襲した。当時、小学3年だった庭山さんの一家は江差町に暮らしていた。
朝起きると、営林署員だった父が居間で真珠湾攻撃を伝える新聞を手にして「大変なことになった」とうなるように言った。「日本は負けないべさ」と言う母に、父は「ばか! 勝てるわけがない。力が違う」と怒鳴り返した。
不条理な戦争の中で、庭山さんにはとりわけ特攻隊の記憶が鮮明だ。
江差出身の富沢中尉が特攻隊員として出撃し、45年1月に戦死した。教師を目指して師範学校に通う優秀な若者だった。「私たちのために命を投げ出してくれたという気持ちで、町中が静まりかえった」
「なぜ死に急がねば…」 泣きながら拒んだ両親
「英霊」が帰って来る日。大…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル